我が家の玄関へ続くアプローチには、札幌軟石が敷いてあります。
大きな平板、細長い縁石、そしてピンコロの石畳。特別なものには見えないと思います。実際、毎日その上を歩いていますし、雪も掃きます。
でも、この縁石には来歴があります。
もとは、1883年(明治16年)に始まった湯治場の、土台を支えていた石です。

この模様は、機械では出せない
まず見ていただきたいのが、縁石の表面です。
細かいブツブツが、びっしり並んでいます。均一なようでいて、少しずつ不揃い。工場で型に流したものではありません。

これは、石工が手で叩いた跡です。
私が彫ったものではありません。この石が切り出され、建物の土台として据えられたときから、すでにこの模様でした。
叩いた人の名前は、どこにも残っていません。今はもういない、名もなき職人の得意技だったのだろうと思います。それが百年以上経って、まだこうしてはっきり残っている。
その石は、小金湯温泉の旅館を支えていた
札幌から定山渓へ向かう途中に、小金湯温泉という小さな温泉地があります。
その歴史は古く、1883年(明治16年)、熊本からの入植者が「桂の木の下から湧き出している湯」を見つけたのが始まりだと伝えられています。
面白いのは名前です。大正期の記録には「黄金湯」と書かれていて、のちに「小金湯」へと字が変わりました。硫黄が黄金色に光って見えたから、という説があります。
なぜ字が変わったのかは、公式の沿革にも書かれていません。

建て替えを聞きつけて、10回以上通った
正直に白状します。私は、札幌軟石の古材に目がありません。
当時、隣にある「まつの湯」によく通っていました。その行き帰りに、黄金湯の建物が目に入る。基礎に積まれた軟石を見て、「これは!」と一目惚れしたのです。

それからは、行くたびに気になって仕方がありません。
建て替えるのかな。壊すのかな。あの石はどうなるんだろう。
そんなことを考えながら、10回以上は通ったと思います。温泉に入りに行っているのか、石を見に行っているのか、自分でもよく分からなくなっていました。
当時、うちの子はまだ抱っこするくらい小さくて、家族で通っていました。桂の木の前で写真を撮り、温泉に入り、その行き帰りに黄金湯の基礎を眺める。
あの石を見ていた時間には、そういう家族の時間も混ざっています。
瓦礫の上に、転がっていた
そして、その日は来ました。
解体が始まり、あの石が地面に転がっていました。砂利と瓦礫の上に、無造作に。

ビシャンの模様は、そのままです。百年以上、建物を支えてきた石が、このままでは処分されてしまう。
思い切ってお願いしてみたところ、黄金湯のオーナーが、不要になった古材を分けてくださいました。
玄関には「2008年1月 装い新たに誕生します」という貼り紙が出ていました。工事の看板には「(仮称)黄金湯旅館改築工事」とあります。
この旅館は、現在の「湯元 小金湯」として建て替えられました。

石は、全部ひとりで運んだ
いただいた古材は、自宅の外構に使うことにしました。ちょうど家を建てるタイミングだったのです。
そして、ここははっきり書いておきたいところです。黄金湯の石は、運ぶのも敷き詰めるのも、全部ひとりでやりました。
軟石は、決して軽い石ではありません。運び方は、完全に力技でした。
自家用車に数本ずつ積んで、自宅と黄金湯を何度も往復しました。革手袋をはめて、抱えて、積んで、下ろして、また戻る。重機も台車もありません。
あの頃は、こんなに力仕事ができていた
ひとつ、書いておきたいことがあります。
これは私が椎間板ヘルニアを発症する前の話です。
いま思い返すと、しみじみします。あの頃の私は、こんなにも力仕事ができていたんだなと。同じことを今やれと言われても、できません。
この石を運べる体だったから、いまこのアプローチがあります。(椎間板ヘルニアで入院したあとの話は、こちらに書いています)
ピンコロは、まったく別の話です
ここが少しややこしいので、分けて書きます。
アプローチ中央にあるピンコロの石畳は、黄金湯とは何の関係もありません。自宅を新築するときに、建築士さんを通して業者に発注したものです。
ピンコロ材の搬入は業者さんにお願いしましたが、敷き詰める作業は、建築士さんが好意で一緒にやってくれました。砂を均して、一つずつ並べて、高さを見て。

かかったのは1日、たぶん2日。もう18年前の話なので、そのあたりは曖昧です。
その建築士さんは、自宅を設計してくれた方。もう20年来のお付き合いになります。中央に敷いた平たい床材も、その方が他の現場で残った軟石を譲ってくれたものです。
この敷石は、4つの出どころでできている
- 細長い縁石——黄金湯の土台だった古材。オーナーからいただいたもの
- 中央の平板——建築士さんが、他の現場で残った軟石を譲ってくれたもの
- ピンコロ——自宅新築のときに発注したもの
- そのほか——いつも分けていただいている採石場の石
つまり、このアプローチで買った石はピンコロだけ。あとは全部、いただきものと余りものです。
18年経って、分かったこと
石を敷いて暮らしてみて、正直なところを書いておきます。
雑草の管理は、こまめにやる必要があります。石と石のあいだから、放っておくとどんどん出てきます。ここだけは手がかかる。
逆に、心配していたことは起きませんでした。
意外なほど、沈んだり傾いたりしません。18年です。北海道の冬を18回越えて、凍結による持ち上がりも、まったく気になりません。
そして、アイビー。これは妻が好きで、意図的に植えているものです。軟石とアイビーの組み合わせが、私はとても気に入っています。グレーの石に緑が這っていく感じが、年々よくなっていきます。

そして数年後、残りの石は神木の根元へ
ここからが、この話のいちばん好きなところです。
私が分けていただいたのは、ほんの一部でした。残った古材は、それから数年後、思いがけない場所に敷かれることになります。
小金湯には、推定樹齢750年のカツラの巨木があります。樹高は約23m、幹周りは10m以上。「小金湯桂不動」と呼ばれ、昭和47年に北海道の「記念保護樹林」に指定されています。
根元には不動尊が祀られ、数十体の地蔵尊が木を取り囲んで立っています。しめ縄が張られ、賽銭箱が置かれた、拝む場所です。

この木は、根が荒々しく地表に露出しています。
その根を守る土台として、黄金湯の古材が敷き詰められたのです。

その姿は、圧巻です。私は何度も見に行っていますし、そのたびに手を合わせています。
そして——1883年に湯が湧いているのが見つかったのは、まさにこのカツラの木の下でした。
木の下から湧いた湯で湯治場が生まれ、その建物を軟石が支え、百数十年後、その石が木の根を守る側にまわった。石が、始まりの場所に還っていったことになります。
ちなみにこの木には、もうひとつ言い伝えがあります。定山渓温泉を開いた美泉定山が根元で仮眠したとき、樹霊が夢枕に現れて霊泉が湧くことを告げたというものです。
まとめ:踏むたびに、思う
順番を整理すると、こうなります。
- 明治のいつか——名もなき石工が、この石を叩いて仕上げる
- 湯治場の土台として、百年以上、建物を支える
- 2007年——解体。瓦礫の上に転がる
- 私が譲り受け、建築士さんと2人で我が家に敷く
- 数年後——残った石が、樹齢750年の神木の根を守る土台になる
つまりあの石にとって、最初の第二の人生は、神木の根元ではなく、我が家のアプローチだったということです。先に俗、あとから聖。
片方は不動尊と地蔵尊に囲まれて拝まれ、片方は毎日私に踏まれている。
でも、どちらも同じ石です。同じ職人が叩いた、同じ模様の。
特別なことをしているつもりはありません。ただ、石が好きで、通い詰めて、分けていただいて、敷いた。それだけです。
それでも、玄関を出るたびに少しだけ思います。この石は、百年以上前の湯治場を支えていたんだよな、と。
訪ねてみたい方へ
小金湯温泉は、札幌市南区。定山渓へ向かう国道230号沿いにあります。
湯元 小金湯
この記事に出てくる、建て替えられた旅館です。2008年から、この姿になりました。

そして敷地の目の前に、小金湯桂不動が鎮座しています。この宿のシンボルツリーです。石積みも、ここで見ることができます。

小金湯桂不動
推定樹齢750年のカツラ。根元には不動尊が祀られ、数十体の地蔵尊が木を囲んで並んでいます。


旬の御宿 まつの湯
私が当時よく通っていた、隣の宿です。日帰り入浴もできます。

そして——ここの看板が、私はとても好きなのです。
コンクリートの壁に焼き物を貼り付けて、「まつの湯」の文字にしてあります。ひとつずつ形も色も違う陶片が並んでいて、手仕事の温かみがある。最高に素敵だと思います。

建物のまわりも気持ちのいい宿です。焼杉の黒い壁に、花の鉢がずらりと並んでいます。


石に一目惚れして通い詰めていた頃、この宿にも本当にお世話になりました。
※日帰り入浴の時間・料金は変わることがあります。おでかけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。
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